エスパルス研究所

清水エスパルスの躍進と新スタジアム建設に向けた考察

カテゴリ:エスパルス > レジェンド

 昨日、第100回高校サッカー選手権の決勝があり、青森山田が優勝。何だか、圧倒的過ぎて、興味が湧かず、個人的には観なかったなあ。

 昔話をさせてもらうと、個人的に、印象に強く残っている決勝として、2007年度の流経大柏VS藤枝東がある。清水サポなら誰もがそうだと思うけど、清水加入が内定していた大前の流経大柏と、地元の藤枝東の、どちらを応援するかということで、非常に複雑だった。

 この大会、得点王に輝いた大前は、決勝でも絶好調で、4得点のうち2点を大前が奪った。まあ確かに、当時からシュートセンスは抜群だった。対する藤枝東には、言うまでもなく河井がいたわけだが、彼は慶応大学進学を選んだ。この決勝の時点では、まさか河井も後年、清水に加入することになるとは、思いもしなかった。そして、時代は巡り、大前だけでなく、ついに河井も清水を去る時が来てしまった。

 上に貼ったのは、ダイジェスト動画だけど、この試合の模様、久し振りに観たなあ。知らなかったけど、概要欄から辿り、過去の大会の決勝を有料で観られるようになっているようだ。果たして収益はどこに落ちるのやら。

 そんなわけで、当S研ブログでは、オフシーズンのネタ枯れを何とか乗り切った。本日1月11日は新体制発表の日なので、これからは新シーズンに向けた話題も増えていくだろう。


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 エスパルスとはほぼ関係ない話題で恐縮だが、清水・静岡勢のライバルである国見高校を長く率い、最近では長崎総合科学大付監督を務めていた小嶺忠敏さんが亡くなったということだ。第100回高校選手権開催中の、まさかの急逝である。

 まだ76歳ということで、生涯現役を貫いたということか。国見時代には、自らマイクロバスを運転して全国に遠征していたといったエピソードもあった。すべてを高校サッカーに捧げた人生だったのだろう。

 個人的には、1988年に東海大一VS国見の第66回大会の東海大一VS国見の決勝を国立に観に行った思い出がある。前年の第65回大会で東海大一が初優勝し、当然その再現に立ち会うべく国立に出かけたのだが、現実にはフィジカルを前面に押し出した国見のサッカーに屈し、悔しい思いをした。今回、その試合の模様を、上掲のような動画で久し振りに観直した。国見の堅い守備に阻まれ、東海第一は決定機らしい決定機はなかったんだよなあ。

 小峰監督にとっては、この時が選手権での初優勝だったようだ。

 まあ、この試合で相まみえた東海第一の澤登と国見の永井が、その後、エスパルスにとっての初タイトルとなる1996年ナビスコカップ優勝の立役者となったりもするわけだが。

 小嶺忠敏監督のご冥福を心よりお祈りいたします。

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 吉田豊が名古屋でルヴァンカップの優勝メンバーになった。試合中、実況アナが、「吉田は2012年に準優勝を経験しています」みたいなことを述べており、具体名は言わなかったが、もちろん清水のメンバーとして優勝を逃したものだった。

 それで、ふと「1989年生まれ組」のことを思い出したのだ。当時の清水には、1989年生まれの選手が多く、それによる仲間意識や連帯の場面もあった。たとえば、こちらのページに出ているように、89年組が「地域スポーツ振興『1989エスパルスシート』」なんて企画をやってくれたこともあった。ただし、なぜかこの企画の発起人には、89年組の代表格だった大前元紀の名前がないが(追記:良く見たら、この企画は2013年で、大前はもうドイツに旅立った後だったんだな)。

 2012~2013年頃に在籍していた89年組の現在の所属をまとめると、以下のとおりである。清水に在籍し続けているのは河井だけ。一番出世したのは、やはり吉田か。村松は若くしてフル代表に選ばれたりもしたものの(この中では唯一)、引退も早かった。なお、八反田は学年は同じだが厳密には1990年1月生まれ。

  • 河井陽介:J1清水エスパルス所属
  • 吉田豊:J1名古屋グランパス所属
  • 内田健太:J2愛媛FC所属
  • 大前元紀:J2ザスパ群馬所属
  • 八反田康平:J3鹿児島ユナイテッドFC所属
  • 村松大輔:2019年J3ギラヴァンッツ北九州を最後に引退
  • 三浦雄也:2017年J2V・ファーレン長崎を最後に引退

 その後、2015年に加入した鎌田翔雅など、89年組は顔触れを変えながらある程度一体性を保っていたものの、さすがに自然消滅したようだ。

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 FC東京は、ルヴァンの準決勝敗退で今季の無冠が確定し、契約最終年の長谷川健太監督と延長しない可能性があるらしい。そして、日本代表が本日のオーストラリア戦で勝てなかった場合、森保監督は解任となり、健太が日本代表監督に就任するという観測が、一部で唱えられている。

 実は、個人的に、健太は代表監督に向いているのではないか、いやむしろ代表監督にこそ向いているのではないかと感じていた。

 一番は、やはりモティベーターとしての能力だろう。メモばかりとっている森保監督と違って、健太は選手とともに戦い、やる気を引き出すのに長けている。代表チームというのは、もともと能力が高い選手が集まってくるわけで、監督の一番大事な役割は、戦術云々もさることながら、選手たちを団結させ能力をMAXで発揮させることである。そうした観点で、健太は適任だ。

 逆に言うと、健太はそれほど豊富な戦術的引き出しがあるわけではないので、じっくり作り上げるクラブチームの指揮官としては、一定の限界がある。ガンバの時のように、豊富な戦力や攻撃文化を引き継いだ時には、いきなり結果を出せるが、3年くらいするとマンネリになってくる。清水でも、FC東京でも、突き抜け切れなかった。

 健太は、割り切った、シンプルな戦術をとる指揮官であり、その意味でも、準備期間の短い代表チームには向いていると思う。

 健太は、代表監督としては、あまり「カリスマ性」のようなものは感じられない。しかし、FC東京に復帰した長友が、早くも健太の人柄に心酔していると伝えられるように、ベテラン・若手を問わず、選手には慕われる。

 最近の若手、海外組にとっては、「ドーハ組」の年代の指導者は、古臭いものと感じられるかもしれない。しかし、日本代表で攻撃のキーマンとなる久保建英をFC東京で、堂安律をガンバ大阪で、健太は指導した経験がある。その点も、今の日本代表監督に適しているかもしれないと考える根拠だ。


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 東京ヴェルディの永井秀樹監督の退任が、物議を醸している。表向きは成績不振を理由に辞任したが、実際にはパワハラが発覚し監督を続けられなくなった形だ。当然、事態が明るみに出る上では、内部告発があったはずであり、今般、上掲YouTubeのようにその音声も流出した。

 若い方はご存知ないかもしれないが、永井秀樹という人は、初期のエスパルスを彩ったレジェンドである。元々はヴェルディで活躍していたタレントだったが、当時のヴェルディは実力者がひしめいていたので余剰になったのか、あと一歩タイトルに手の届いていなかった清水が、切り札として獲得した。清水が1996年に初めてナビスコカップをとることができたのには、永井の力がかなり大きかった。

 当時の永井は、パワハラのイメージとは程遠い、チャラ男だった。ナビスコという初タイトルをとり、澤登などは嬉し涙を流していたわけだが、永井は「いや~、ノボリがウソ泣きしてるんでビックリしました」なんてコメントするほど、おちゃらけた選手だった。

 スポ根とはまったく真逆のように思えた永井だったのに、なんでこんな酷いパワハラ事件を起こしてしまったのか? 湘南の教訓もあったというのに。清水に在籍したのは四半世紀も前のごく短期間だったとはいえ、間違いなく功労者なので、残念でならない。

 J1復帰後の我が清水は、頻繁に監督が代わったが、どれも人格者であり、パワハラなどとても想像できないような人たちである。成績はパッとしないが、そういう不祥事と無縁であることは、少しだけ誇っていい。

 もちろん、現在のロティーナ監督もパワハラなどということはとても考えられない温厚な人物である。しかし、ある選手のプレーがお眼鏡に適わなければ、怒鳴りつけるでもなく、冷酷に「戦力外」という判断を下すだろう。ある意味でパワハラ以上に厳しい世界がそこにはある。

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 今季のJ3の日程を眺め、左伴社長とGK西部がいる富山が、枝村のいる藤枝に乗り込むという試合がゴールデンウィークの5月1日にあるというのを知って、「これは行くしかない?」と考えた。藤枝の本拠地である藤枝総合運動公園サッカー場は、前から一度行ってみたいと思っていたのである。

 まあ、しかし、このプチ遠征は、ちょっと失敗だった。実際に行ってみると、「え、藤枝って、静岡からこんなに遠かったっけ?」という感じだった。車で行けばそうでもないかもしれないけど、個人的にはJRと路線バスで行ったので、不便なことこの上ない。驚いたことに、コロナで入場制限があるからなのかもしれないけど、藤枝駅からのシャトルバスすら出てないんですねえ。だから、本数がやたら少ないコミュニティバスみたいのに乗っていかなければならない。

 そして、大いに当てが外れたのが、西部が怪我をしたらしく、遠征に参加していなかったこと。左伴社長はどこかにいたらしいが、どこにいるのか分からず、姿を見ることもできなかったし。

 そして、最悪だったのが、この日は酷い雷雨だったことだ。まあ、藤枝のスタジアムは、メインスタンドだけは屋根がしっかりあって、試合観戦中に濡れたりすることはなかった。だが、後半開始直後に雷が酷くなって、試合が中断し、1時間くらいで再開はしたものの、個人的にバスに乗り遅れそうだったので、途中で席を立ち、試合を最後まで観ることすらできなかった。

 西部がいないということは、枝村のプレーを楽しむしかない。彼もベテランになり、動きの鋭さとか、ゴール前に詰める迫力とか、そういうのはなくなった。それでも、彼のパスから局面を打開するようなシーンはしばしばあり、藤枝の中では良いアクセントになっている印象だった。

 さて、個人的にはなかなかしんどい参戦になってしまったが、藤枝を一度見学させていただいたことは、良い経験になった。身に染みて良く分かったのは、スタジアムの立地が圧倒的に不便ということである。アイスタの場合は、まだ周辺に民家らしきものもあり、まだしも街の延長上にある感じだが、藤枝のスタジアムは完全に山奥といった風情である。スタジアムの箱自体は、J2仕様に拡張する予定があるらしいが、いかんせんあの立地では、気の毒ながら、クラブとしての発展性は限定されてしまうのではないか。

 スタジアムが山の中にあると、サッカークラブが市民に深く根差した「文化」になることは、まず困難だと思う。藤枝の場合には、高校サッカーという文化はしっかりと根付いているが、あの不便なスタジアムでは、サッカーが教育、スポーツ振興、行政主導の街興しの施策として機能することはできても、やはり市民の日常に根付いた文化には転じにくい。

 本当にスタジアムの立地は大事。清水としても、中長期的な視点に立てば、そのことこそがクラブの浮沈を大きく握っているわけである。藤枝の地で、そのことを改めて感じた。

 (下の写真は、この日は島田市デーだったので、島田市のお茶ゆるキャラが)

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 札幌戦の解説で、戸田和幸氏が来てくれることを事前に知り、色めき立った。個人的には、たとえ清水が負けたとしても、下田さんの実況や戸田さんの解説であれば、それ自体に価値があるので、負けたなりに得るものがある。今回は残念ながら実況は下田さんではなかったが、担当した蓮見さんは地方アナウンサーとしては力量がある方であり、このコンビなら放送自体にストレスはないだろうと安心できた。

 その一方で、個人的にはこんな思いもあった。まだまだモフサッカーが未完成のこの段階で、戸田さんに見てもらうのは恥ずかしいな、と。前の晩、戸田さんはCLのシティVSレアルを解説していたのだ。どうあがいたって、CLよりは見劣りするだろうから、うちのサッカーが相当お粗末に見え、Disられるのが関の山だろうかと、そんな心配をしていたのである。

 いや、もっと言えば、もしも札幌戦にまたも惨敗するようなことがあったら、解説席の戸田さんのところに直訴に行って、「もうアカン、ピーターは今シーズンいっぱい持たない。戸田さん、貴方やってくださいよ」と訴えてみようかと、そんな妄想までしていたのである(あくまでも妄想)。

 しかし、スタジアムの生観戦後に、改めて戸田解説でDAZNを観てみたが、結局そんなに戸田さんに苦言を呈されることもなかった。清水の調子が上向きで、結果的にも勝ったこともあって、酷いダメ出しはなかった。「開幕当初のように、バランスを崩して無理に攻めに行かなくなった。それによって大きく崩れることがなくなった」というのが、トータルな評価だったようである。その上で、立田のボールに食いつきすぎるクセとか、自陣ゴール近くで不用意なファウルを犯す傾向とか、そういう問題を部分的に指摘するような解説ぶりであった。

 ただ、戸田さんは観戦後に、試合の特筆すべきポイントにつきYouTube動画を配信したりするのだが、今のところ清水VS札幌戦に関してはそれが出ておらず、そんなに戦術的に特筆すべき点はなかったということだろうか?

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 それにしても、色んなチームに清水ゆかりの人物がいるものである。そして、そういう選手が清水在籍時代以上に良いプレーを見せたりすると、若干微妙な心境になる。

 日曜日の京都と磐田の試合を観たが、京都側でウタカと飯田が先発出場。この試合、結論から言えばウタカの2得点で京都が2:0の勝利を収める。にしても、ウタカは本当に上手い。ドウグラスほどの万能ストライカーではないかもしれないが、ツボにはまった時の得点力は、ドウグラスと同等と言える。トラップ、バウンドに合わせるタイミング、相手の逆を突くターン、シュートのタイミングとコースなど、思わず「上手い」とうなりたくなるようなプレーを見せる。日曜日の磐田戦での2得点も、その特徴が良く出たものだった。

 ウタカは、清水でくすぶった後、広島でJ1得点王になるわけだが、広島の首脳が、「ウタカは清水ではカウンター要員のように使われていたが、うちならもっと活かせる」というような話をしていたのは、悔しかった。まあ、結果に表れているわけで、何も言い返せない。静岡で気に入ったのはおでんだけだったとしたら、うちにとって何とも情けない話である。京都も、早くもウタカのトリセツを理解したようであり、果たして今季J2で何点とるか、楽しみである。

 あと、京都側では、飯田が清水では見たことのないような溌剌としたプレーを見せていて、驚いた。清水時代の飯田については、期待はしていたのだが、「良いプレー」というのを、ほとんど思い出せない。たぶん、彼がリーグ戦で先発して、勝った試合は一つもなかったのではないだろうか(時間がなくて確認できないが)。それが、京都に行ったとたん、清水ではついぞお目にかかれなかったようなピンポイントクロスを何本も上げており、思わず目が点になった。


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 今ではキャスターとして知られる永島昭浩氏。若い清水サポの皆さんは、彼がエスパルスの一員として戦った一時代があったというイメージが湧かないかもしれない。元々彼はガンバのスター選手だったわけだが、清水がくどいて、Jリーグ2年目は清水に所属したのだった。

 その永島氏のインタビューが、こちらに掲載されている。かつての在籍選手が、清水のことをどう言っているかは気になるところだが、基本的に好意的な内容で、安堵した。以下のような発言が注目される。

 Jリーグが開幕した時には、その後まさか自分がガンバから移籍するなんて、思ってもみませんでした。ただ、エスパルスが熱心に誘ってくれて、自分もまだ若かったので、新たな挑戦のほうに魅力を感じました。いま振り返ると、カズ(三浦知良)と一緒に露出をして、Jリーグを盛り上げていく立場だったので、リーグ全体のことを考えていれば、移籍はしなかったかもしれません。自分の事だけを考えて決断してしまい、若気の至りでした。

 ガンバからエスパルスに移籍する時、実は当時のエスパルスの社長が大阪まで来ていただき、『いまの年俸の2倍を出す』と言ってくれたんです。ただ、『お金で移籍した』と言われるには嫌でしたし、自分の生き方としも違うと思ったので、『ガンバと同じで構わない』とお断りしました。

 (清水から神戸へのの移籍に関しては)ヴィッセルは95年の1月に発足したんですが、実はそれに合わせてオファーをいただいていたんです。新しいチームを作りたいので力を貸してほしいと。故郷の神戸のチームだったので、個人的には前向きだったのですが、エスパルスはJFLのチームに出すわけにはいかないということで、一度お断りしたんです。ただその後、ヴィッセルの始動日でもあった1月17日に阪神大震災が起きた。僕の実家も全壊しました。幸い両親は無事だったんですが、ボランティアなどを経験する中で、自分は他に何が出来るんだろうとずっと考えていました。エスパルスでの2年目がスタートしていたんですが、ヴィッセルはスポンサーのダイエーが撤退し、どうなるのだろうと気になっていました。それでも、Jリーグ入りを目指して頑張るという話を聞いて、ヴィッセル関係者の覚悟を感じました。そして、再度オファーをいただき、エスパルスも『永島の意志に任せる』と言ってくれたので、移籍を決断しました。

 なるほどねえ。Jリーグが開幕して、選手の年俸が高騰し、その中で清水も無理をして戦力を拡大して、それが後に経営危機に繋がるわけだけど、永島氏の証言は(本人は2倍の年俸は辞退したそうだけど)当時の雰囲気を伝える非常に生々しいものだ。

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 試合がないものだから、メディアでは歴史振り返り企画が盛んだが、その中でも、「Jリーグ歴代ガッカリ外国人の系譜」といったものが目立つ。ちょっと検索しただけでも、こちらこちらこちらなど3つも目に付いた。

 まあ、だいたい大失敗するパターンというのは決まっていて、盛りを過ぎた元ナントカ代表のアタッカーみたいのが鳴り物入りで加入すると、ガッカリへの一直線という感じである。Jリーグは、初年度のリネカーで失敗したにもかかわらず、いまだにトーレスで同じ過ちを犯しており、学習能力がないのかと言いたくなる。ごく稀に、エムボマとかフッキとか、属人的能力だけで活躍できるアタッカーもいるが、それらは元スーパースターではなく、むしろ今が伸び盛りという選手たちである。

 元スーパースターに個の力だけで得点量産を期待するのは間違っている一方、スーパースター系でも上手く行くのは、イニエスタみたいに周りを活かしてチーム全体を活性化させられるタイプ(その結果ビジャも活きた)、ジーコみたいにクラブの文化や伝統そのものを作り上げるタイプ、ドゥンガのようにチームに闘志や規律を吹き込めるタイプなど、要するに組織体としてのクラブ・チームを変えられるタイプである。

 かく言う清水も、もちろん、外国人の当たり・外れは、色々あった。オールドファンは、「オリバが最強だった」というようなことをおっしゃる方が多いが、当時はスカパーの中継もなかったし、個人的にあまりプレーを見れておらず、オリバ=最強というイメージはない。やはり、間近で見たドウグラスが別格だったと感じる。

 最大のガッカリは、これも自分の観た範囲内ということになるが(なのでマッサーロは除外)、やはりユングベリかな。プレーそのものが悪かったわけではないけど、何せすぐにケガをして、とっとといなくなってしまったから。清水の経営規模からしても、もう鳴り物入りの元ナンチャラ代表スーパースターは御免被りたいという気がしている。


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 巣ごもり生活、Jリーグのない空虚な日常が長引いて、YouTubeで過去動画などを見て過ごす人が増えていることだろう。そんな中で、上に見るような小野伸二の動画は、画質は最悪だけど、確かに見応えがある。以前誰かが小野のことを、「あの怪我さえなければイニエスタ、シャビくらいにはなっていた」とか言っていたような記憶があるが、それも納得するくらいの天才ぶりであったことは事実である。

 ちなみに、かく言う所長も、彼が高1だった頃から、注目していた。当時たまたま清水商業の試合のテレビ中継があり、一年生ながら奇抜なパスを連発するモンチッチの姿に目を奪われたのだ。

 その一方で、上掲動画を見ていると、複雑な思いもこみ上げる。清水の経営危機さえなければ、ストレートに清水に入ってくれていたかもしれない逸材。だいぶ回り道をして、清水に来てはくれたが、日本平でまばゆいばかりの輝きを放ったかというと、そうとも言い切れず。むしろ、「背伸びをして小野を獲得したにもかかわらず、タイトルをとれなかった」ということが、その後の清水の歴史を暗転させた。もちろん、小野個人を責めるのではないが、我々にとっては少々ほろ苦いところがある。


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 昨日に引き続き、NHKのBS1で先日放送した番組の話になるが、4月3日に放送して録画してあった「Jリーグ伝説のプレー!レジェンドたちが生トーク」という番組を、このほどようやく視聴した。

 この番組のコンセンサスとして、レジェンドたちが最も驚いた凄いチームは、2002年のジュビロ磐田だったという結論になっていた。ただ、そのチームにいた福西が驚いたチームは、1999年の清水だったというところが、微妙なあやである。

 1999年の清水は、実際に強かったと思うし、リーグ戦タイトルに史上最も近付いた瞬間だったが、ああいう、とるべき時にタイトルをとっておかないと、その後の歴史を困難にすることになる。

 清水の方は優勝こそできなかったものの、清水にも磐田にも、確かに黄金時代はあった。しかし、その後、大都市圏のチームが力をつけたり、移籍ルールの変更があったりで、静岡勢が地盤沈下していく。

 とはいえ、静岡勢にも、その後もやり方次第では、タイトル争いに加わったり、J2降格を回避したりすることは、可能だったはずである。所長の個人的印象では、清水は一言で言えば経営縮小に失敗したのだと思う。健太政権の最終年、背伸びをした投資で小野を獲得し、あそこで何らかのタイトルをとれていれば投資を回収できたはずだったのだが、無冠に終わったので縮小均衡に舵を切り、そこから坂道を転げ落ちるように弱体化していった。一方、これまた個人的な印象だが、磐田は世代交代の失敗だったのではないだろうか。


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 先日、NHKのBSでやっていた1993年5月15日のJリーグ開幕戦、ヴェルディ川崎VS横浜マリノス、録画してあったのを、ようやく観ることができた。

 今、この試合を観て思うのは、Jリーグ開幕当初のスター選手というのは、1993年の時点で、結構歳をとってたんだな、ということ。川崎VS横浜の試合では、スタメンの平均年齢が両チームとも29歳を超えていたようだ。ちなみに、あのカズはJリーグが開幕した時に、すでに26歳だった。サッカー選手で26歳と言えば、もうキャリアの半ばくらいだろう。そう考えると、色々ビミョーな点はあるにせよ、とにもかくにも、カズがいまだに現役を続けているということ自体、やはり驚異的と言わざるをえない。

 それで、この1993年5月15日の開幕戦を飾った主力選手たちは、そのまま同年のドーハの悲劇の主人公にもなるわけだ。もちろん、翌日の5月16日に開幕を迎えたエスパルスの主力選手たちも同年代であり、同じ運命を辿る。

 ドーハの悲劇のメンバーで、その次のW杯予選および本大会まで生き残れたのは、ごくわずかだった。Jリーグ開幕当初の主力選手たちは、アトランタ五輪組など、下の世代によってすぐに塗り替えられてしまったのだ。

 ドーハの悲劇の時に、所長は、「皆、かわいそうだな。まあ、堀池は次のW杯も狙えるだろうけど。健太はどうだろう?」なんて思ったものだった。しかし、ドーハの悲劇後、確か堀池は一回だけ代表に呼ばれたくらいで、以降はまったくお呼びがかからなかったなあ。

 1993年の開幕戦を観ると、本当にカズはキレている。以前誰かが、カズの特徴として、足が速いわけではないが、相手の逆をとるのが抜群に上手いと評していたことがあったが、まさにそのとおりで、ドリブルやフェイントで相手をひょいひょいとかわしていく。ああ、この状態のカズを、W杯に出してあげたかったものだ。その後カズは、アジア予選で挫折した経験から、「体重を増やして当たり負けしないようにしなければ」という路線にシフトし、当初の軽やかさが失われていくのだ。

 「ドーハの悲劇があったから、その後の日本サッカーの発展があった」なんて言い方もあるが、とにかく所長はこれらの選手たちにW杯に行かせてあげたかったと思うわけである。


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 最近はコロナ中断のことばかりが焦点となってしまっている。戸田和幸氏が最新の『エスパルス・ニュース』に寄稿した巻頭コラムは、本来であればもっと話題になっても(いや、物議を醸しても)よさそうな内容だったが、ご時世からか、あまり皆さんに取り上げられなかった印象だ。

 それにしても、忖度という言葉を知らない男だと思う。さすがに清水の公式会報なので、多少オブラートにはくるんでいるが、戸田氏がここで指摘していることは(ルヴァンとJ1を1試合ずつ消化した3月11日に執筆)、モフサッカーへの期待感を高めているサポにとっては、氷水をぶっかけるような、そのくらい辛辣な内容である。所長なりに、それを意訳して整理すれば、以下のとおりとなる。

  • 清水は難しいサッカーを選択してしまった。夢を追うのは結構だが、プロの指導者は育成が仕事ではなく、結果責任が問われるわけで、この方向性には疑問を感じる。
  • このサッカーを形にするのには、選手の質が必要。テクニックはもちろん、インテリジェンスが求められる。しかしながら、清水の現有戦力がその条件を満たしているかは疑問。
  • このサッカーのキモになるのはボランチだが、実際にはボランチが本来の持ち場にいない場面が散見される。
  • FC東京戦では立田のインターセプトがたまたま成功し先制点を奪えたが、ディフェンダーが本来の持ち場を離れてあのようなイチかバチかのプレーをするのは考え物で、自分が監督だったらああいうことはやらせない。
  • 石毛のサイドバック起用など、ボール保持をベースにしたチーム作りを目指していても、実際には効果的なビルドアップはできていない。下手なポゼションは自分たちの首を締めるだけ。
  • リーグ戦で結果を残すのは守備が安定したチームというのが絶対的な法則だが、今の清水の守備は烏合の衆で、組織化されておらず、危うい。いくら攻撃型のチームを志向しても、これでは多くを望めない。

 と、ざっとこんなような指摘だった。もちろん、実際のテキストはもっと婉曲な表現になってはいるのだが。

 多くの人は、分かってはいるんだよ。分かってるけど、それでもこの方向に、舵を切ったんだよ。


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 このあいだ、「ベルギーリーグは今季このまま終了」というニュースが流れていた。「おや、松原后はまだ1試合しか出てないはずだが」と思って確認したところ、上の表のように、1月に移籍した松原だったが、やはり出場は2月28日の第28節、後半途中の26分までの1試合に留まっている。

 本人としては、相当意気込んで、決死の覚悟でベルギーに乗り込んだはずだが、こんな尻切れトンボでシーズンが終わってしまうとは、ムゴい話である。

 「清水に残っていれば、もっと試合をできたのに」と一瞬思ったが、考えてみれば清水に残ったとしても、今のところ公式戦は2試合だけだから、境遇はあまり変わらないか。

 まあ、しかし、今のベルギーは、練習はおろか、おそらく外出もままならない状況だと思う。たぶん夏までは満足にサッカーができない状態が続く。余計なお世話かもしれないが、松原はいったん帰国して、ヨーロッパの状況が正常化するまで、清水の練習にでも参加したらいいのではないか。お互いに得るものもあるはずだ。

 一方、北川の方は、こちらのサイトで見ると、オーストリアリーグが中断する3月上旬までは、出場機会を獲得しつつあったようだ。ただ、先発フル出場とは行かず、後半途中の投入が多かった模様。クラブから期待はされているはずだが、日本のマスコミで大きく取り上げられなかったということは、あまり目立った活躍をしていなかったということなのだろう。

 北川は、インスタの様子を見る限り、元気そうではある。でも、チーム練習ができない、生活が不自由というのは、たぶん松原とあまり変わらないだろう。こちらの方も、状況が許せば、いったん帰国して、しばらく清水で過ごすというのも、悪くないような気がする。


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 2010年代に清水が低迷した大きな原因の一つに、レベルの高いGKで固定できなかったことがあった。山本海人と林彰洋が競い合っていた時代は、まあそれなりのレベルの競争だったとは思うのだが、当時の監督が敗戦の原因を理不尽にもGKに押し付けるようなところもあり、結局両者とも清水を去っていった。

 そんな林が、インタビュー記事の中で、珍しく清水時代のことも回顧しているので、その部分をちょっと引用させていただく。

 それでヴィッセル神戸の練習に参加させてもらったのですけれど、話がまとまらないでいたタイミングで、清水エスパルスからオファーをもらって、それで清水エスパルスに加入することができたのです。実は最初の半年ぐらい、(当時、手首に深刻な怪我を負っていたので)右手で弾かなければいけないボールは、緩いボールだったらパンチで弾いて、ちょっと強めのボールだったら左手で弾くみたいな感じで、できる限り右手首に負担かけないようにしていました。その時に思ってたのは「今年いっぱいで現役は終わりかな」ということでした。

 するとそこに、アフシン・ゴトビ監督が教え子のトレーナーをアメリカから招聘したのですよ。その人に診てもらったら劇的な回復というか、もちろん完治はしないのですが、状態がとてもよくなりました。シュートに対応するときに右手だけで弾けるなど、よくなるような兆しが見えたのです。手術後1回もそんなことなかったのですが。

 それで「この人に僕の手首を託したら現役続行あるかもしれない」と思って、その年の冬にアメリカに行って治療してもらいました。その方には今でもケガの相談に乗ってもらっていて、治療していただく恩師です。みんなが「ゴッドハンド」と呼ぶ人なのですが、「本当のゴッドハンドってこういうことなのだ」と思うくらい救われました。

 ゴトビ監督とは度々言い合いになりましたけれども、でもそのトレーナーに会えたのもエスパルスに入団できたのも監督のおかげですし、少なくともマイナスなことだけではなかったので、僕はゴトビ監督との出会いをネガティブには捉えていません。

 うーむ。所長は、基本的に過去のことは蒸し返すつもりはないし、ゴトビ監督時代のことも、今さらどうこう言うつもりはない。ただ、当時のチーム内の雰囲気が伝わる話だなと思って、引用させていただいた次第。

 今願うことは、今季、ゴトビ氏以来の「革命家」を招聘した清水が、今度こそそれを成就させてほしいという、ただそれだけである。

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 いなくなった選手のことは、基本的にどうでもいいけれど、「ベルギー移籍の松原后、ステップアップに意欲『セリエAやブンデスリーガへ』」という記事を読んで、所長の評価による松原后のレーダーチャートを作ってみたくなった。それが上図である。

 まあ、応援はしてるよ。あんまり期待はしてないけど。

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 へえ、川崎の攻撃力って、大したことないんだね。湘南相手に5点しかとれないのか(笑)。

 なんて軽口をたたいて、浦和戦敗戦の憂さを晴らす今日この頃。皆さんはいかがお過ごしですか。

 湘南のチョウキジェ監督のパワハラ騒動、去就問題を、外野から眺めていて、所長なりに、色々思うところはある。まず、Jリーグによる調査が長引きすぎて、湘南のチームにとっては気の毒だったということだ。調査の時間がかかっているうちに、湘南はみるみる成績を落とし、完全に残留争いに巻き込まれてしまった。どんな結論にせよ、Jリーグがなるべく早く結論を出し、湘南が宙ぶらりんの状況から抜け出せるようにしてあげるべきだっただろう。もし今季、湘南が降格することになったら、残留争いがJリーグによるパワハラ裁定のさじ加減で決まってしまったという意味で、公平さを欠くことになろう(むろん、今の清水にとっては結果的に助かるが、そのことは別問題)。

 その一方で、伝えられているようなパワハラが事実だったとするなら、チョウキジェ監督はアウトだろう。昨日、同監督の退任がようやく発表されたが、続投などということになったら(一時はそういう雰囲気もあった)、非常識な判断だったろうと思う。

 当S研でも、チョウ監督の作り上げた湘南イズムを称賛したりしたことがあったが、それが人権侵害の上に成り立っていたのだとしたら、謹んで評価を撤回したい。湘南のような予算規模の小さなクラブをJ1で戦えるチームにするためには、監督が多少強権的に選手・スタッフを叱咤激励することは必須だろうが、当然越えてはいけない一線があり、それを越えた事実が明らかになったわけだから、退陣は当然だろう。

 さて、今回、この問題に触れたのは、戸田和幸氏のブログで「見て見ぬふりをしない」という記事を読んだからである。当S研では、何度か戸田氏に言及し、清水の監督就任待望論を唱えたりもしたが、今回のブログを読んで、改めて日本サッカー界にとって大切な人だと感じた。こんなOBを、ぜひクラブにとっての資産として活用したいものである。

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 DAZNの川崎VS清水戦の解説は、戸田和幸氏だった。戸田氏は、おそらく日本の熱心なサッカーファンの間では人気No.1の解説者だろうし、当S研でも「ぜひ清水の監督に」と推したことがあった。

 他方、戸田氏は忖度をせずに、痛いことをズケズケというタイプなので、昨今の清水の試合を解説すると、どうしてもコメントが苦言じみてくる。それを、快く思っていない清水サポもおられるようだ。

 ただ、所長としては、厳しいことをどんどん言ってほしいと思っている。「良薬は口に苦し」という言葉があるが、戸田氏の解説は「良言は耳に痛し」だ。駄目出しをされるのは我々にとっても辛いけれど、具体的な問題点を一つ一つ克服しなければ、清水の今後の躍進などはありえないのである。たとえば、川崎での清水の戦い振りを、解説者が称賛してくれたとしたら、それで少しでも我がクラブの足しになるだろうか? 誰がどう見ても、課題だらけのチームであり、今はどうにか、だましだまし勝ち点を拾っている境遇である。解説者が無料で問題点を指摘してくれるのだから、こんな有難いことはないではないか。苦言を呈されるということは、まだ見捨てられてはいないということであり、駄目出しをされるうちが華である。

 それで、有難いことに、戸田氏は今回の試合につき、自身のYouTubeチャンネルで、戦前のプレビューと、試合後のレビューを、両方アップしてくれている。上掲がレビューである。この中で戸田氏が特に強調しているのは、清水のサイドハーフのポジショニングの問題である。まず、敵がボールを持って清水がプレスをかける時に、サイドハーフが前寄りの位置をとり過ぎ、4・2・4のようになって中盤が薄くなり、それでボランチの脇を使われたり、酷い時にはボランチの間を通されたりするという問題が指摘されている。また、ファーサイドのサイドハーフは、もっと中に絞らなければ駄目であり、現在は外に張り過ぎているので、それも中盤がコンパクトさを保てない一因となっているということである。

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 オーストリア・リーグも開幕してすでに4試合を消化したはずだが、「北川が活躍した」という話は、一向に聞こえてこない。ラピッド・ウィーンのHPを見てみたが、ドイツ語だけのページであり、試合情報も詳しくなく、本人がベンチ入りしているのかも、良く分からない。

 それで、選手のページを見てみると、上の画像のように、航也の身長が178cm、体重が79kgとなっている。清水時代のプロフィールでは、180cm、74kgになってなかっただろうか。まあ、確かに、航也が大柄という印象はなく、むしろ清水時代に身長を盛っていて、オーストリアに行ったら正確なデータが記入されてしまったのかもしれない。

 つい先日、「今生の別れ」みたいな雰囲気で、ウィーンに旅立った航也だったが、今のままでは、そう遠くない将来に我々との再会の日が訪れるかもしれない。本人は、それは気まずいし、不本意だろう。だったら、その場所で頑張るしかないわな。

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