はっきり言って、所長は高校野球にあまり興味がない、というか、むしろあの夏の甲子園というのは苦手である。いや、野球自体は好きだし、若者がひたむきに白球を追うのは素晴らしいと思うのだが、わざとらしく刹那的なドラマに仕立て上げ、しかも大人どもがその利権に群がるという構図が嫌なのである。
しかし、昨日、明らかになったところによれば、今年は春の甲子園に続いて、夏の甲子園も中止になるのだという。やらせてやれよ。高3の夏は、一生に一度だけじゃないかよ。
いや、個人的には、高校球児が高3の夏にすべてを賭けて、それが終わったら燃え尽きてしまうというのは、近視眼的すぎると思う。もっと長い目で、競技に取り組んだらどうかと思う。ダルビッシュみたいに、たとえ甲子園の晴れ舞台で負けても、それを自分の競技人生の一過程と捉えて、笑って受け流せる方が、格好良いと思う。しかし、現実には、全国ほとんどの高校球児が、憧れの舞台を目指して、厳しい練習に耐えてきたはずである。その機会を、大人が自分たちの都合で丸ごと奪ってしまうというのは、果たしてどうなのか。
ということは、なにか? 高野連、朝日新聞、NHKの爺さんたちは、普段は炎天下で若者たちを熱中症の脅威にさらすことはどうとも思わないのに、あるいは過密日程で将来有望な投手の肩・ヒジが壊れようと知ったことじゃないのに、天文学的な低確率にすぎないコロナ感染のリスクにだけは敏感なのか? 要するにアンタたちは、自分たちがコロナ絡みで批判を浴びたくないだけなんじゃないのか?
夏の甲子園は、球児たちにとって一生一度の夢舞台というイメージが強いのに対し、プロサッカーの場合は、仮に今季が吹き飛んでしまっても、次のシーズンは巡ってくる。しかし、陳腐なことを言うようだが、今シーズンは一度きりだ。清水にとっても、クラモフスキー監督が就任して、チームの大改革に乗り出した、その中でJ1に挑むというのは、今年しかないドキドキだろう。自分の力を試したいとウズウズしているルーキーや、「ラストイヤーかもしれない」と悲壮な覚悟で臨んでいるベテランもいるだろう。サポーターだって、それぞれに特別な思いを胸に、今季の清水を見届けようという覚悟だった。
幸い、今のところ、Jの2020シーズンは、消えてなくなってしまったわけではない。変則的ながら、まだシーズンは丸々残っている。高校球児たちの無念に思いを馳せ、一年一年が特別なのだという意識を新たにしないといけないだろう。
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