2010年代に清水が低迷した大きな原因の一つに、レベルの高いGKで固定できなかったことがあった。山本海人と林彰洋が競い合っていた時代は、まあそれなりのレベルの競争だったとは思うのだが、当時の監督が敗戦の原因を理不尽にもGKに押し付けるようなところもあり、結局両者とも清水を去っていった。

 そんな林が、インタビュー記事の中で、珍しく清水時代のことも回顧しているので、その部分をちょっと引用させていただく。

 それでヴィッセル神戸の練習に参加させてもらったのですけれど、話がまとまらないでいたタイミングで、清水エスパルスからオファーをもらって、それで清水エスパルスに加入することができたのです。実は最初の半年ぐらい、(当時、手首に深刻な怪我を負っていたので)右手で弾かなければいけないボールは、緩いボールだったらパンチで弾いて、ちょっと強めのボールだったら左手で弾くみたいな感じで、できる限り右手首に負担かけないようにしていました。その時に思ってたのは「今年いっぱいで現役は終わりかな」ということでした。

 するとそこに、アフシン・ゴトビ監督が教え子のトレーナーをアメリカから招聘したのですよ。その人に診てもらったら劇的な回復というか、もちろん完治はしないのですが、状態がとてもよくなりました。シュートに対応するときに右手だけで弾けるなど、よくなるような兆しが見えたのです。手術後1回もそんなことなかったのですが。

 それで「この人に僕の手首を託したら現役続行あるかもしれない」と思って、その年の冬にアメリカに行って治療してもらいました。その方には今でもケガの相談に乗ってもらっていて、治療していただく恩師です。みんなが「ゴッドハンド」と呼ぶ人なのですが、「本当のゴッドハンドってこういうことなのだ」と思うくらい救われました。

 ゴトビ監督とは度々言い合いになりましたけれども、でもそのトレーナーに会えたのもエスパルスに入団できたのも監督のおかげですし、少なくともマイナスなことだけではなかったので、僕はゴトビ監督との出会いをネガティブには捉えていません。

 うーむ。所長は、基本的に過去のことは蒸し返すつもりはないし、ゴトビ監督時代のことも、今さらどうこう言うつもりはない。ただ、当時のチーム内の雰囲気が伝わる話だなと思って、引用させていただいた次第。

 今願うことは、今季、ゴトビ氏以来の「革命家」を招聘した清水が、今度こそそれを成就させてほしいという、ただそれだけである。

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