この間、舛添要一氏が、「ミュンヘンの教訓」云々ということを言っていた。周知のように、ミュンヘンの教訓とは、戦争を回避するためにナチス・ドイツに宥和政策をとったら、ヒトラーがますます増長して歯止めが利かなくなり、結局は世界大戦に突入してしまったという話である。安易な妥協はかえって悪い結果をもたらすという戒めとして言われる。

 しかし、舛添要一氏をはじめ、「ミュンヘンの教訓」を絶対視し、「妥協は一切するまい」なとどいう立場は、考えてみればおかしいものである。ちょっと考えてみれば分かる通り、世界の歴史では、妥協したり、宥和したりした結果、丸く収まった時だってあったはずなのだ。ただ、そういう丸く収まった出来事というのは、人々の強烈な記憶に残らず、歴史として後世に語り継がれないだけである。だから、舛添要一氏のように、「ミュンヘンの教訓」云々を絶対視するような論者は、疑った方がいい。

 さて、なぜそんな話をしたかというと、有名なサッカーライターの杉山茂樹氏による 「その引き分け、喜んでいいのか? 川崎戦で見せた清水・篠田監督の旧態依然たる選手交代劇」 という記事を読んで、同じようなことを感じたからである。

 この記事で杉山氏は、川崎戦で篠田監督が逃げ切るためにトップ下の河井を削って5バックにしたのは悪手だった、かえって前からの圧力がかからなくなった、現にシステムチェンジした直後に清水は同点に追い付かれたではないか、逃げ切るために守備を増やすなどというやり方は15年前の古い戦術だ、実は篠田監督はFC東京時代にも同じ過ちを犯して、その時も私はその悪手が逆効果であることを見抜いていたのだ、といったことを論じている。

 まあ、確かに、所長も、「逃げ切るためには、なるべく前から行って、ゴール前で跳ね返すだけの状況になるのは勘弁してほしい」と思うことはある。実際、近年の清水でも、守備の枚数を増やして、逃げ切りに失敗したことはあっただろう。

 しかし、今回は確かに川崎相手に逃げ切れなかったが、現実には、守備を厚くして、逃げ切った試合だって、それなりにあったはずだ。「ミュンヘンの教訓」と同じで、失敗した方の印象が強烈に残りがちであり、「ディフェンダー増やして逃げ切りましたとさ」といった当たり前の展開は、あまり記憶に残らないものなのではないか。

 杉山氏は、静岡出身だけあって、清水のことは結構気にかけてくれているのだと思う。しかし、この人の場合はとにかく、「サイドの攻防で勝敗が決まる」とか、物事を断定的に決め付ける悪い癖がある。

よかったらクリックお願いします
にほんブログ村 サッカーブログ 清水エスパルスへ
にほんブログ村