昨日、ロティーナ批判とも受け取られかねないことを書いたが、個人的に、ロティーナを解任すべきだとか、そういうことを言いたいわけではない。今現在、ロティーナ清水が直面している現状を、私なりに考察しているだけである。あれだけ期待感が大きかったチームが、なぜこれほどまでに低空飛行を続けているのか。そして、これから我々はどうなるのか。そうしたことにつき、個人的に思いを巡らせ、もしご興味のある方がいれば共有していただきたいという、それだけのことである。
それで、ロティーナ論の続きになるが、果たしてロティーナは名将だろうか? それは、名将の定義によるだろう。監督が構築しようとしているサッカーの到達地点が、どれだけレベルの高いものか? そういう尺度であれば、確かに名将なのだろう。ロティーナはセレッソで、栄冠をもたらしたわけではないが、その可能性の片鱗は示した。名将の期待感は、確かにありそうである。
しかし、最終到達点の高さも大事だが、その高みにどのくらいの速さで連れて行ってくれるのかという時間軸も、大事なはずである。「目指す高みは立派だが、そこに至るのに3年かかる。その過程では、下位カテゴリーに落ちることもある」というのでは、プロの監督として失格である。だいたい、サッカーの監督は3年くらいが賞味期限と言われているわけで、3年でようやく形を成すなどということならば、非常識である。
ロティーナのサッカーが清水で思うように開花しない原因として、必要なピースが揃っていないことを挙げて、擁護する向きもある。しかし、今ある戦力で、現実的に、勝てるチームを構築するのも、指揮官の手腕ではないか。本当に優れた料理人なら、冷蔵庫にあるありあわせの食材だけでも、美味い飯を作るはずである。目の前に腹をすかせた客が待っているのに、「今日はフォアグラが入ってないから料理できません」では困るのである。
ロティーナが名将であるにしても、だいぶ「条件付きの名将」なのではないか。個人的には、そんな考えに傾きつつある。
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